時代劇などで、江戸時代の庶民の生活をみると、みんな生活は苦しそうです。
「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」なんて言いますが、実際はどんな暮らしをしていたのでしょうか?
江戸にすべて一品、銭四文で売っていた「四文屋」という店がありました。いまの100円ショップみたいな感じです。銭四文=100円として、江戸時代のひとの給料明細を、現在のお金でいくらか見てみましょう。
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将軍の収入は?
まずは、八代将軍吉宗の収入。 吉宗の時代、享保十五年(1730年)のデータだと、年収総額は、約80万両で、領地からの年貢が約6割、残りは長崎貿易や御用金の収入です。いまのお金だと、約1300億円になります。やはり将軍はすごい!大富豪です。
なお「加賀百万石」の前田家は、名目上の石高が102万石、明治初年の実収は135万石。年貢以外の収入とあわせ、約1135億円で、幕府と同じくらいの収入だったようです。
ただ、大きな組織だと、収入は多くても、家来への給料などの経費もかかるので、そんなに経営がラクではなかったようです。今の企業と同じですね。
町奉行/与力
いまの公務員の幕府の役人たちも、町奉行クラスだとかなりの高収入でした。北町奉行・大岡忠相の年収は約2億円で億万長者。奉行所の与力(管理職)クラスは約1100万円、同心(担当)クラスは228万円です。
いまの日本に比べ、かなりの「格差」がありました。
もっとも、偉くなると、色んな出費も多く、そんなに生活はラクではなかったみたいです。
職人
職人の給料はどうだったのでしょう。19世紀(江戸後期)の日雇いの大工の例です。夫婦と子ども一人の三人暮らしで、借家住まい。一年間355日(旧暦)のうち、正月と節句、そして悪天候の日が休みで、実働は294日。年収は、いまのお金で約429万円です。
農民
農民の平均的な年収はいくらだったのでしょう? 武蔵豊島郡(いまの東京都板橋区)の例です。
夫婦二人暮らしで、忙しい時期には日雇い一人を雇います。米の収穫は、米俵で57俵くらい、また畑五反で、大根を約2万本生産。二毛作で自分で食べる麦を作っていました。
いまのお金にすると、米の収入は324万円で、大根の収入は約338万円(大根1本135円)です。米と大根を合わせ約662万円が年収となります。なお、税金の年貢は、14俵余りと畑作分銭3000文で約89万円で、手取りは573万円になります。いまの平均的な農家よりゆとりがある感じです。でも、すべて手作業の重労働であり、休みが少ないのでキツイ仕事ですね。
江戸(あるいはその近郊)の職人や農民たちは、仕事のキツさはさておき、それなりの収入があったみたいです。
年貢も、時代劇で重税に苦しむ百姓たちのイメージよりは、実際は、それほど重くもない感じです。これは、地域差がかなりあったみたいです。
便利にはなったけれど、なんだか今の日本の方が、貧しくなっている気がしませんか?
まとめ
江戸は「高いものはものすごく高く、日用品は、けっこう安い」という町だったみたいです。百均やドン・キホーテがあるいまの日本に近いのかもしれません。
江戸でいちばんお金に苦労しているのは、経費がかかるわりに収入が少ない、下級武士だったようです。
こういう知識があると、歴史の本や時代劇の見方が少し変わってきますね。
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